南原繁「国家と宗教」の関係はどうあるべきか
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- 南原繁の霊言 -
2014年11月6日、 総合本部
『南原繁「国家と宗教」の関係はどうあるべきか』
『南原繁「国家と宗教」の関係はどうあるべきか』
1.クリスチャンの元東大総長・南原繁を招霊する
- 内村鑑三、矢内原忠雄に続き、南原繁に意見を訊く
- 東大政治学科で学びつつ、内村鑑三門下でキリスト教に入信
- 「洞窟の哲人」が、戦後、脚光を浴びて東大総長を務める
- 南原繁の教え子・福田歓一先生から政治学史を学んだ東大時代
- 大学発祥のもとになったとも言える無教会派などの”塾”
- 吉田茂首相から「曲学阿世の徒」と非難された南原繁
- 東大総長を務めた無教会派のクリスチャン・南原繁を招霊する
2.「国家と宗教」のあるべき関係とは
- 「南原繁の霊言」は「戦後の見直し」でもある
- 当時の「国家と宗教」の複雑さを語る
- 「道徳や哲学の上位概念には宗教がある」
- 「学問」から「宗教」を放り出すことは「カント的自由」に反する
- 現代は「生きている宗教」を研究できない状態である
- 国家と特定の宗教の結びつきが強いと、他の宗教の弾圧につながる
- 複数の政党がある以上、「思想の複数性」も認めるべき
3.「日本人の宗教観」について
- 会社と同じく宗教にも「栄枯盛衰」はある
- 南原繁は「幸福の科学を弾圧した某宗教」をどう見ているか
4.「学問と宗教」のあるべき関係とは
- カントの説いた「理性」は「思考の方法論」の探求だった
- 「現在の学問」も「ソクラテスの処刑」も民主主義の悪い面の表れ
- 「手段としての学問」で止まっている大学の現状
- 南原繁が東大教授として「カント哲学」に依拠した理由
- なぜ、南原繁は「フィヒテの政治学」を研究したのか
5.南原繁から見た幸福の科学のあり方
- 大手ジャーナリズムに影響し始めている「幸福の科学の言論」
- 「学問の壁を破って進撃できるか」を見られている
- 戦後70年続いた体制を引っ繰り返すのは簡単なことではない
- 「信じること」を貫き、妥協しない姿勢を見せよ
- 「"弾圧"が、君たちの声望を高めることになる」
6.南原繁は現代の政治情勢をどう見ているか
- 国を守る立場にある人間として当然のこととは
- 国家として自立していく体制をつくるべき
- 政治におけるリアリズムの原点は「最大多数の最大幸福」
- 「天皇退位論」の真意を訊く
- 戦前から政治に関係なく存在している「象徴天皇」
- この世的に転ぶことで「危険勢力」と思われない面もある
7.幸福の科学の「学問」としての可能性について
- 幸福の科学の「寛容さ」「自由さ」を指摘する南原繁
- 「幸福の科学は、迫害を受ける宗教ではないと思う」
- 従来の学問と幸福の科学の「オリジナル学問」との違い
- 「天理大」「創価大」より、学問性がはるかに高い幸福の科学
- 「幸福の科学はすでに『学問』のレベルを超えている」
- 幸福の科学は”マリアナ海溝を潜れる力”を持っている
- 文科省との間に文化的摩擦があった「幸福の科学大学の人事」
- 幸福の科学は「大学設立」より「学問の自由」を大事にすべき
- HSUの卒業生の活躍によって世間が認めるようになっていく
- 「明治・大正・昭和期の日本の道徳力を高める一翼は担った」
- 「東京大学を超えるユニバーサルな大学をつくってほしい」
- 「もっと自信を持て」という幸福の科学への激励