生老病死と四苦
Thu, 04 Apr 2024 22:00:24 JST (25d)
1.生老病死はなぜ「苦」なのか?
- 「生老病死」が「四苦」であることは小学生でも知っていることだが、なぜ「苦」なのか、宗教的にどのような意味を持っているのかをここで改めて考えてみる。
「生・老・病・死」の順番にどのような意味があるのかは知らないが、ここでは分かりやすい順に考えていく。 - ちなみに、「八苦」とは「四苦」に「愛別離苦」・「怨憎会苦」・「求不得苦」・「五陰盛苦」を加えたものであるが、ここでは「四苦」に留める。
2.「病」と「苦」
- 病や怪我は、ほとんどの方にとって「苦」であることに異論がないと思うので、詳細な深堀はしない。
- 宗教的意味
- 今までの自らの生活に問題がなかったか、なぜ病や怪我が発生したかを見直す反省の機会を与えられたと考える
- 状況にもよるが、本人に少し休んで自分を見直せとの意味もある
- 自分の心の底に、休みたいという怠惰な心がなかったかも反省する必要がある
3.「老」と「苦」
- 老いてくると、どうしても病や怪我が増えてくるが、これ自体は「病苦」の一部と言え、対象ではない。
- 老いてくると、能力が落ちると思っていた若者に負けるようになったり、若い時に簡単にできたことがなかなか思うようにできなくなったりすることが「苦」となる。
- 宗教的意味
- 若い時代と比べて能力や社会的地位などが低下したりしてくるが、能力や元気が有り余っていたときに気づかなかった周りへの配慮を反省したり、この世的執着を取り払っていく準備と捉える
4.「死」と「苦」
- 一般に病や怪我を伴って死は訪れるので、これ自体は「病苦」であり、死んだら終わりという意味では死自体が「苦」にはならない。
- 死んだらあの世に逝くことになるが、具体的にどのようなことが待っているか分からないことが「苦」となる。
- 死んだら、極楽へ行くのか、地獄へ行くのかの不安が付きまとい「苦」となる。
- 宗教的意味
- 若い時は漠然とあの世について考えていても良かったかもしれないが、老いてくると死んだらどうなるかをある程度具体的なイメージを持っておいた方が良い。
- 若い時にも、あの世を感じて生きることは必要だが、老いてくると、この世のことよりあの世への準備というか、あの世を重視した生活に移行していく
- 人生の後半では、自分の人生がそれなりに正しい人生であったかどうかを見直し、間違ったものがあれば反省し、残された人生では間違った行動をとらないよう配慮する。
- 若い時は、社会に痕跡(貢献)を遺すような努力をする必要があるが、老いてきたら、人生全体の反省を行うと共に、間違いを犯さない方に重点をシフトしていく
5.「生」と「苦」
- 「生」とは、「生きる」か「生まれる」かについては、生きること自体を「四苦」といっているので、「生まれる」ことだと解釈する。
たいていの赤ちゃんは泣いて生まれるので「苦」といえば苦だが、「生まれる」前後も含めて、多くの人にとっては終わった話であり、それをあえて「苦」として取り上げることの意味はどこにあるのか。 - 「生まれる」とは、あの世から母の胎内から生まれてくることであり、それが「苦」ということになる。
- 何の不自由もないあの世から、不自由なこの世に生まれることの「苦」
- 堕胎されるかもしれない恐怖
- どのような人生が待っているか分からない恐怖
- 長期間、真っ暗な母の胎内にいることの{苦}
- 特に、自分では何もできない赤ちゃん時代の「苦」
- 長期間、胎児を胎内に宿し、苦痛を伴って出産した母親の「苦」と、養育の「苦」
- 宗教的意味
- これだけの「苦」(覚悟)を伴って生まれてきたことを自覚し、この世の人生を有意義に過ごさなければいけないという自覚を持つ
- 自分は何のために生まれてきたかを常に問い続ける
- 命を大切にする
- 自分が大きくなったことに対して、両親や周りの方々に感謝する
- これだけの「苦」(覚悟)を伴って生まれてきたことを自覚し、この世の人生を有意義に過ごさなければいけないという自覚を持つ
6.総 括
- 「四苦」の宗教的意味を考える場合、あの世への意識を前提とする。
- あの世を前提とせず、この世限りで人生を視ようとすると、一時的には「楽」があったとしても、人生のほとんどは「苦」になってしまう
- あの世を前提としてこの世の人生を考えて始めて、「苦」が苦ではなくなる
(2024.4.4)