神の弛まぬ愛

Mon, 19 Feb 2024 21:02:50 JST (67d)
Top > z.管理者index > 2024 > 1.神の弛まぬ愛

1.神と大河

  • 神は創造神を源流とした創造エネルギー(愛)を「弛まず」放出し続ける大河とも言える。
    • 神(善)とは、静的概念ではなく、動的概念である
    • 流れる水が常に変わっていても、流れ方(地形)が変わっても、同じ大河(川)は同じ大河(川)である
  • 常に大量の水を「弛まず」放出し続けているからこそ大河であり、水を流さなくなったら大河(川)ではなくなる。
    • 水を流すことを止めた川は、同じ水で同じ地形であっても、川ではなく、単なる水溜まりでしかない
    • 過去にどのように立派な業績を遺した者であっても、「弛まず」善行をしていない者は、徳ある人とは言えない
      神であっても、同様である

2.川と成長

  • 神は大河であり、人は小川である。
    • 神は大河であり、人は小川でしかないが、同じ水(愛)を流す川である
      • 創造神は湧き水なのかもしれないが、川が支流の小川を創っているとも言える
    • 小川(人)の上流を辿れば、いずれは大河(神)に辿りつく
      • 大河(神)も小川(人)も同じ水(愛)の流れと言えば同じである
      • 大河と小川を同じだと思う者もいない
  • 小川にとって、上流の大河は一つかもしれないが、大河が一つとは限らず、湧き水も一つとは限らない。
    • 小川にとっては、大河の数など、大きな問題ではない
  • 小川は、より多くの水(愛)を「弛まず」流し続け、より広い田畑を潤し(貢献し)続けることによって、いずれは成長し川となる。
    これを生々流転の法則という。

3.仏性と修行

  • 大河は枝分かれして川となり、何度も枝分かれして、いずれは無数の小川となる。
    • 上流から下流へ愛(水)を流し、周りを潤す性質を「仏性」という。
  • 上流では清流だった水(愛)も、下流に行くにしたがって汚れていき、時には詰まって流れが止まることもある。
    • 詰まって水が流れていないからと言って、仏性がなくなったわけではない
    • 小川がゴミで詰まらないように、「弛まず」ゴミを取り除き、きれいな水を「弛まず」流し続ける必要がある
  • 水の汚れを取り除くことを反省と言い、このような取り組みを修行という。
    • 地球人には、転生輪廻という修行システムがある

4.弛まぬ愛

  • 大河は、「弛まず」大陸を潤す(愛)。
    • 川は地域を「弛まず」潤し、小川は田畑を「弛まず」潤す
  • 大河や川は、氾濫などして、地域の破壊と創造を繰り返す
    • 破壊は、「弛まぬ創造」には必須であり、これも「愛」である
    • 小川には、氾濫はなく、ただ潤す(愛)のみである


(2024.1.10、2024.2.19更新)