吉田茂
Wed, 11 Oct 2017 22:31:50 JST (2393d)
Top > 吉田茂
(Yoshida Sigeru) 1878~1967年
外交官、政治家、第45・48~51代内閣総理大臣
経歴
父親である竹内綱が反政府活動で逮捕されたため、横浜の貿易商・吉田健三の養子となる。 | |
1906 | 東京帝国大学法科大学卒後、外務省に入省。 |
戦中 | 終戦策を模索していたため一時投獄される。 |
戦後 | 「反軍部」だったとして信用を得る。 |
1946 | 大日本国憲法下における最後の首相に就任。 |
1947 | 日本国憲法施工後、第5次におよぶ「吉田内閣」を組閣。 |
「サンフランシスコ平和条約」「日米安保条約」をはじめ、教育基本法や労働組合法、公職選挙法、自衛隊法などを公布し、戦後日本の基本路線を敷く。 | |
外交においては、「憲法9条の制限のなかで、安全保障の確保はアメリカに頼って軽武装を維持し、経済復興と発展を最優先させる。」という国家戦略、通称「吉田ドクトリン」を打ち出す。 | |
1950年に朝鮮戦争が起きると、アメリカは再三にわたって「日本の再軍備」を求めたが、これを拒否。結果的に、この判断で日本は貿易や国内の開発に集中でき、経済大国への道が拓けたとして評価する声も多いが、戦後の防衛軽視の流れを生まれる。 | |
池田勇人、佐藤栄作などの後進を育て「吉田学校」と称され、引退後も元老として政界に多大な影響力を発揮。 | |
麻生太郎元首相の祖父。 |