禅について考える
Fri, 27 Mar 2015 20:58:50 JST (3327d)
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- 『黄金の法』講義(4) -
2002年9月24日、 総合本部、 『禅について考える』
1.建仁寺を開いた臨済宗の開祖・栄西
- 栄西は、最初から禅宗を求めていたわけではなかった
- 「公安」を重視する臨済禅、「坐禅」を重視する曹洞禅
- 鎌倉仏教の宗祖たちが、比叡山から弾圧された背景
- 「純粋な禅」という感じではなかった栄西
2.入山早々、比叡山の教えに疑問を持った道元
- [honrai本法性、天然自性身」に対する疑問
- 疑問に対する答えを求め、栄西と巡り合う
3.宋に留学し、曹洞宗に出合う
- 中国では、正式な僧侶と認められず、足止めされる
- 正師を求めて各地を遍歴する
- 天童如浄より「坐禅中心の修行」を教わる
4.道元が悟った「身心脱落」の境地とは
- 宋では、抽象観念の会話に難儀したと思われる道元
- 「身心脱落」は「心塵脱落」の誤解ではないか
- なぜ、「心塵」を「身心」と捉えてしまったのか
- 手と足の組み方が、釈尊の時代とは逆になっている道元禅
- 道元が悟った「身心脱落」の真相
- 微妙な意味の違いを生んだ語学の壁
5.「かたち」にこだわりすぎる禅宗の問題点
- なぜ、仏教の伝統に反して、目を開けたまま坐禅するのか
- 目を開けて面壁するスタイルは、精神衛生上あまりよくない
- 道元の師・如浄は、釈尊の教えを汲み、神秘体験もしていた
- 霊体験のない道元、「因果の理法と来世」を確信していた如浄
- 曹洞宗の僧侶に、唯物論者が多い理由
- 道元の「修証一如」の考え方の問題点
- 「スタイル」だけをまね、「悟り」までいっていない日本の禅宗
6.禅は本来、「天上界との交流」を目指していた
- 如浄も道元も生前の思想について、あの世で反省している
- 曹洞禅の流れのなかには、無間地獄へ堕ちている僧侶もいる
- 霊魂を信じていない僧侶は、「嘘を教える罪」を犯している
- 仏教の中身がなくなりつつある今こそ、「本当の教え」が必要
- 心の塵を落とし、心が澄み渡ってくると、天上界との交流が始まる
- 慈悲ゆえに、禅宗にも厳しく鉄槌を下す