悟りを開く1
Mon, 16 Nov 2020 14:06:45 JST (1259d)
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2019年8月17日、 特別説法堂
- 仏教が追い求めた悟りの輪郭 -
『悟りを開く』 第1章
1.「悟りを開く」とはどういうことなのか
- 聖なる力を宿している人からは「後光」が出ている
- 金粉現象や病気治癒等の奇蹟は「悟りそのもの」とは違う
- 悟りにも似たものがある「刀のたとえ」
2.「悟りとは何か」が分からなくなった現代社会
- 「悟り」と「勉強」には、どのような関係があるのか
- 宗教学や仏教学は"ガラクタの山"となっている
- 深遠な真理を同時代に理解できる人の数は少ない
- 教えが伝えられる過程で生じたさまざまな問題
- 便利なツールが増えても、「真実」は分かりにくくなっている
- 失言を恐れる政治家等の言葉は「悟りの言葉」とはほど遠い
3.奇跡や威神力を信じられるか
- 釈尊やイエスを唯物的、民主主義的に捉えようとしている現代
- 「人間・釈迦」を強調して無間地獄に行ってしまった中村元氏
- 仏陀の威神力を信じていた渡辺照宏氏は、天上界に還っている
- 幸福の科学でも、現在さまざまな「神秘現象」は起きている
- キリスト教では「奇跡」が否定されがち
- 「転生輪廻」や「哲学的真理」は科学的に証明できるのか
4.仏教に見る「悟りの継承の難しさ」
- 以心伝心で悟りは伝わるか
- 道元が入宋して習ったことは何だったのか
- 「悟りの内容」はなかなか伝えられるものではない
- 「仏教的悟り」とはほとんど関係がない「一休とんち話」
- アングリマーラの例に見る「仏陀の一喝」の力
5.仏教の修行を通して求める「境地」とは
- 仏教を唯物論的に解釈した後世の弟子たちの誤り
- 「諸法無我」の教えを通して、仏陀が本当に言いたかったこと
- 仏教学者の間違った「涅槃寂静」の解釈
- 生きながら「実在界に還ったときの安楽の境地」を目指す
6.中道から智慧の発見をする
- 修行時代の釈尊は、二人の師の境地にすぐに達した
- 本当の悟りは苦行にはないことを知る
- 釈尊の菩提樹下の悟り
- 「中道」から智慧の発見をしようとした釈尊
- 悟りを正しく導くために必要な「三世を見通す力」
- 仏陀の称号のなかに「世間解」がある理由
- 大悟のあとにも、修行においては「小悟限りなし」