映画「沈黙―サイレンス―」にみる「信仰と踏み絵」
Fri, 10 Feb 2017 22:25:28 JST (2636d)
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- スコセッシ監督守護霊とのスピリチュアル対話 -
2017年1月25日、 特別説法堂
1.映画「沈黙―サイレンス―」のスコセッシ監督守護霊に「信仰観」を訊く
- 遠藤周作の小説を映画化した「沈黙―サイレンス―」が公開
- 映画「沈黙―サイレンス―」の見どころは?
- 遠藤周作の『沈黙』を読み、疑問を感じた小学校時代
- イエスの最後の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の意味とは
- スコセッシ監督の宗教観・信仰観はどのようなものか
- スコセッシ監督守護霊を招霊し、映画製作の意図を訊く
2.「踏め」と言うのは、神か悪魔か
- しきりに居心地の悪さを気にするスコセッシ守護霊
- 映画で伝えたかったメッセージは何か
- 人間の命はキリスト教を信じることより大事か
- スコセッシ監督は「敬虔なクリスチャン」なのか
3.なぜ、日本ではキリスト教が広がらないのか
- 原作と出合ってから映画化に到るまでの葛藤
- スコセッシ守護霊が考える「日本の思想の源流」とは
- キリスト教が日本に根づかないのはなぜか
4.スコセッシ守護霊の「信仰観」「人生観」とは
- 映画「沈黙」で描いた「転べ」の意味について
- 「あれだけ迫害されたって、何一つ奇跡は起きない」
- 「人生のいちばんの幸福」とは何か
- 映画「沈黙」の裏に隠されている批判とは
- 「預言者や救世主を信じるのは賭け」
- イエス・キリストのことを信じているのか
- 神を信じることへの葛藤がある?
- 「司祭が、学校の先生の変化形にしか見えなかった」
5.宗教の教えは人間を不自由にするのか
- 「宗教とは基本的に自由を奪うもの」というのが本音か
- 「沈黙」は「長崎の原爆投下を肯定する映画になる」
- スコセッシ守護霊にとって「神」とはどういう存在なのか
6.「キリスト教への不信感」を露わにする
- 死後の世界について神が沈黙しているのは卑怯?
- 「心って何?」と問いかけるスコセッシ守護霊
- スコセッシ守護霊は「愛」をどういうふうに考える?
- この世は悲劇ばかりだから「神は存在しない」のか
- 「キリスト教は、表で自信をもって言えるようなものではない
- 映画に埋め込まれた「信仰を軽んじる価値観」
- 「信じる自由」を踏みにじってはいけない
7.「信仰を守る者」と「信仰に転ぶ者」をどう見るか
- 「転ぶ」ことによって、本当に信者は救われるのか
- 「病気を治したら、治してくれた分だけ信仰してもいい」
- 「今、判断できる材料で判断したほうがいいと言っているだけ」
- 「長期化して予算を食ったのに、評価されない」と嘆く
- 「問題を突きつけるのが仕事で、答えを出すのは仕事じゃない」
- 映画「最後の誘惑」に込められたメッセージとは
8.スコセッシ守護霊の霊界での様子を訊く
- 自分を「バックシート・ドライバー」と認識しているスコセッシ守護霊
- 「"同じ車"にいて、映画をつくるときは一緒にやっている」
- 「自分が何かは知らないが、スコセッシと共にある者」
- イエスの言葉を引くものの、「私の自覚」がないスコセッシ守護霊
- スコセッシ監督から離れるときは、何をしているのか分からない
- あの世で「遠藤周作」と会ったことがある?
- 自分が撮影されていることに怒り出すスコセッシ守護霊
- 神は「沈黙」を守り、宗教に答えてはいけない?
- 前回の霊言は「幻覚」、質問者は「隠れキリシタン」?
9.日本人は残虐な民族なのか
- 映画「沈黙」で日本人の残虐さを描いて見せた
- 「進化論は事実。キリスト教はリストラが必要」と考えている
- どうしても「魂」や「心」については理解できないスコセッシ守護霊
- 「死後の世界」を認めないスコセッシ守護霊
- 「この世で楽しけりゃいい。信仰は余分で、捨てればいい」?
- 「日本人はキリスト教を理解できない原始人だ」と思っている
- スコセッシ守護霊は,宗教をどのように理解しているのか
- 「現代人は古い囚われに縛られないほうがいい」
- 映画のなかでの「転びなさい」は、誰の声?
10.「沈黙」の時代と「神も声が聞こえる」時代
- 「民主主義」について熱弁を振るう
- 映画「沈黙」が、「宗教家にとって教育になる」理由とは
- なぜ、「この世こそが大切である」のか
- スコセッシ守護霊にとっての「望ましい未来」とは
- 自分を「神の代わり」と語るスコセッシ守護霊