内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る
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- 内村鑑三の霊言 -
2014年11月1日、 総合本部
『内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る』
『内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る』
1.迫害と戦ったキリスト教思想家・内村鑑三を招霊する
- 「無教会主義」を唱え、数多くの門下生を育てた内村鑑三
- 宗教を学ぶ「入り口」として読むのによい内村鑑三の著作
- 「組織の発展」よりも「自分の中身」や「学問」に関心があった内村鑑三
- 幸福の科学が直面する、さまざまな”壁”をどう乗り越えるか
- 内村鑑三を招霊し、「信仰者の諸問題」への対処について訊く
2.なぜ、信仰者は社会とぶつかるのか
- 「信仰者は熱心になればなるほど、迫害されるもの」
- 「鎧を〝衣”で隠している状態」に限界が来ている幸福の科学
- キリスト教などの一神教の流れにある「排斥する傾向」
- イエスのような迫害を呼び込む「受難礼賛思想」
- 幸福の科学のなかにも「受難礼賛思想」があるのか
- 「信仰」と「学問」の両立は可能か
- 社会的なトラブルが「宗教的PR」になる面もある
3.「信仰を貫く」のは命懸けである
- 「信仰」を教えなければならなかった80年代の幸福の科学
- 職員が「宗教は格好悪い」と考えていた初期の幸福の科学
- 信仰に必要なものは「勇猛果敢さ」
- 「総裁が優しすぎて、弟子が『弟子の道』を分かっていない」
- 「信仰」とは「武士道」と同じく切腹覚悟でするもの
- 今のキリスト教は「出発点からして情けない」
- 迫害を受けたとき「イエス様の気分が少しだけでもわかった」
4.内村鑑三が日本人の「信仰心」を叱る
- 「なぜ日本ではキリスト教が広がらないのか分からなかった」
- 非常に分かりにくい、日本人の”お色直し的信仰心”
- 内村鑑三は「幸福の科学の信仰」をどう見ているのか
- 内村鑑三が求める「あるべき信仰心の姿」とは
- 「何らかの縁がある魂」にも厳しく接する内村鑑三
- 「日本で『イエスの父』と言えない気の弱さは処刑に値する」
5.幸福の科学の「信仰」と「伝道」のあり方を問う
- 内村鑑三が説く「一日一生」の意義とは
- 「一日を無駄にしたら腹を切って詫びるぐらいの気持ちを持て」
- 「四番打者として、宗教の挽回を託されている」
- だんだんと信仰が強くなっていったルター
6.「霊言」の否定は、キリスト教の「聖霊」の否定と同じ
- 内村鑑三が考える「人間として許せないこと」とは
- 自分たちの「慙愧の思い」から残酷になったキリスト教徒
- 「不幸が自分を鍛えてくれる」の真意とは
- ライオンに食われた名もなき信仰者たちへの思いを語る内村鑑三
- 「伝道者として本物であるかどうか」を問う
- 石をぶつけられながら説法したは「プロの宗教家」
7.大学設置に至らなかった幸福の科学を叱る
- 大学の件で、弟子として「非常識な体質」が露呈した
- 信仰が本物でないのは「卑怯な心」があるから
- 来世に後悔したくなければ、自分たちの「信仰の不足」を反省せよ
8.「本物の信仰者」の姿勢とは
- 神の声を信じて十字架に架かったイエスの信仰心
- 「教えが豊かなゆえに甘い」と指摘する内村鑑三
- 内村鑑三が叱咤する「伝道に対する熱い思い」
9.主が自由に羽ばたけるようにするのが弟子の使命
- 弟子たちに期待する「後世への最大遺物」とは